4月21日(土)22日(日)、福島県いわき市にて公益法人日本青年会議所復興支援委員会第5回全体委員会が開催され、あきる野青年会議所から出向している溝呂木副理事長、佐藤顧問、遠藤監事、武田運営幹事、坂谷の5名が出席しました。
浪江町役場田口様からご講演をいただき、そののちの懇親会ではいわきJC丹野理事長をはじめとするメンバーの皆様から心温かいおもてなしをいただきました。総務広報の武田・坂谷コンビは、特に復興の象徴ともいえるフラダンスに目が釘付けでした。
22日(日)には、浪江青年会議所様の復興のお手伝いをするため、警戒区域にて共に活動をさせていただきました。防護服に身を包み、バスの車中で双葉青年会議所、浪江青年会議所の理事長をはじめ、メンバーから被災地、避難地域の現状を教えていただきました。
検問所から入ると、警戒区域内は人はおらず、牛が放し飼い状態になっていました。ひび割れた道路、荒れ果てた田んぼや畑、壊されたATM・・・3.11に地震が発生した状態がそのまま残っていました。
地震による被害は言うまでもありませんが、原子力発電所の事故があったため、復旧することが更に困難な状態であることがわかりました。
3.11から1年がたち、新聞などの報道で地震関連の事がほぼされなくなっていますが、現地の新聞では毎日原発関連の記事が書かれています。この違いは何なのでしょうか。まさに、「風化」以外の何物でもないと思います。
原子力発電所が稼働を停止した後、隣にある火力発電所を稼働させて首都圏に電力を供給しているとのこと。そして、福島の方々は今もなお故郷を離れて避難生活を送っていて、いつ帰れるのか、復旧はされるのか、見通しすら立たないという現実。
私たちは、改めて考えなければならない。
人気の無い警戒区域で、桜が満開を迎えていました。